熊本地震 そのとき医療の現場は…

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震度7が2度襲った熊本地震

平成28年 4月14日、21時26分。M6.5・最大震度7
熊本県益城町を震源とする地震が発生。
翌日深夜、日付も変わり16日1時25分、熊本県益城町・西原村を震源とする14日発生した地震の16倍のエネルギーを持つ
M7.3、最大震度7の巨大地震発生。その後も震度6前後の余震が多発。

訓練だけでは感じられない地震を経験した
医師と研修医の貴重な体験談

熊本赤十字病院の「そのとき」 第一救急科部長 奥本 克己

【前震】日頃の訓練通りの動きができた

当院は熊本県の基幹災害拠点病院であり、被害の大きかった益城町、西原村、南阿蘇村からもっとも近い災害拠点病院でもありました。4/14の前震発生時は、病院機能や入院患者に大きな被害はなく、患者受け入れに備えました。当院は、平時より災害対応マニュアルを整備し、年間6回の災害救護訓練を実施しています。前震時もそのマニュアルに沿って活動を開始しました。地震発生10分後に病院災害対策本部を設置。夜間でしたが、職員の53%にあたる756人が自主参集し、アクションカードを引いて、新たに設定した診療エリア(トリアージ緑、黄、赤など)の配属を振り分けました。4/15の災害モード解除までに364名の傷病者を受け入れました。また、前震直後の23時46分には益城町に特殊救護車両(ディザスターレスキュー)、救護班、DMATを派遣し医療活動を行いました。

【本震】まさかの揺れに救急棟停電。想定外の事態に

スタッフがフル稼動で休む間もない救護活動が続いた日の深夜に、まさかの本震が発生。4/16の本震では、病棟に多くの被害が発生し、想定外の状況になりました。このときもスタッフは654人が自主参集。救急棟が全域停電となったため、救急科医師を中心に臨機応変に対応し、診療エリアを本館の幅4.8mの廊下「ホスピタルストリート」へ移動(本館は発電機を運用、午前2時44分に復電)。本震1時間後には診療を開始しました。また、ガスも止まり、上下水道の断水は4/25の復旧まで長期にわたったため、備蓄水も底をつきそうになりました。自衛隊、国土交通省による24時間体制の給水支援で、何とか病院機能をとりとめていたような状況でした。本震発生日に受け入れた傷病者は585名、4/18午前8:30の災害モード解除までには1,033名に上りました。また、Dr.ヘリは4/16の14:40より、DMATヘリ調整本部の指揮下で、主に県内の現場救急事案の対応に当たりました。
本震の際の救急棟停電は、訓練していた災害対策マニュアルにはない想定外の事態でした。経験のない廊下での診療になりましたが、限られた人員・医療資源・スペースの中で、職員が一丸となって臨機応変な対応に努めました。
また、当院には病院災害対策本部に加えDMAT活動拠点、赤十字熊本県支部には日赤救護班本部も置かれました。情報が入り乱れる中で連絡調整が難しく、当院の職員がリエゾン役としてそれぞれの本部に加わり、院内の災害対策本部の連絡会を毎日実施して情報の共有を行いました。

研修医も救急医療の最前線に

研修医は、勤務中であった者を含め、発災から1時間以内に、地域研修中を除く全員が参集しました。アクションカードに従って、災害対策本部、診療統括本部、トリアージ各ブースに配置して災害対応を行いました。本震時は、前日より不眠不休で働く者もおり、研修医も含めて病院一丸となって診療にあたりました。特に1年目の研修医は入職後2週間のオリエンテーションを終えた直後というタイミングで、大変だったかと思います。その中で、2年目の先輩の支えもあり、本当に良く動いてくれました。

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避難所の巡回診療に研修医も参加

全国の赤十字病院から病院支援要員として、300名以上の人的支援をいただきました。日赤救護班やDMATチームにも診療支援をいただき、大きな力になりました。研修医にとっても、全国の様々な医師やスタッフと共に働くことは大きな刺激になったようです。
地震発生後、4/19までは一般外来診療をストップしていましたが、その後は通常診療に戻りました。そんな中、チームを組んで益城町、西原村の避難所・救護所診療、及び巡回診療を実施。指導医の引率の元で研修医も参加しました。初期研修医延べ17名、後期研修医延べ14名を派遣しました。直に避難所の様子を見て、人々と接することで得た経験も大きかったことでしょう。

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研修医にとって、医師人生を変えるタフな経験に

1年目の研修医は入職2週間後のタイミングで、大変なショックを受けたと思います。しかし、ここで経験をしたことは、今後どのような状況においても「逃げない」医師になるという目標に向けて、少なからず刺激になったことでしょう。
そして、野戦病院のような状況の中、2年目の研修医は驚く程大きな戦力となりました。救急医療を中心としたプライマリ・ケアを1年間修得したことはもちろん、災害救護訓練への参加も必須だったことが、成果につながっていたようです。実際に、支援に来てくださった全国の医師からも、当院の研修医の動きの良さに驚く声もあった様子。今後の医師人生の中で自信を得られる貴重な経験となったと思います。

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あらゆる事態を想定した災害訓練の重要性

当院は、県の基幹災害拠点病院であり、日本赤十字社の活動で国内外の災害に派遣してきた歴史を持っています。東日本大震災で200名以上の要員を派遣した経験から、2012年に災害対応作業部会を設置、マニュアル・初動ポスター・アクションカードなどを整備し、年6回の災害訓練を進めてきました。これこそ、想定外の場面でも職員一丸となって臨機応変に対応できた要因だと思います。地震から半年以上が経ち、今後はさらに、地域社会にとって平時だけでなく「まさか」の時にも頼りになる病院となるべく、今回の震災での反省や課題を検討していきたいです。同時に、災害発生時に県内で重要な役割を担う上で、院外の災害対策本部やDMAT、救護班などで要となるような医師の育成や役割分担も大きな課題です。

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熊本大学医学部附属病院の「そのとき」 救急・総合診療部 教授 笠岡 俊志

他病院をサポートし、転院も多く受け入れた

当院は三次救急医療機関であり、熊本県唯一の大学病院として他病院を支援する役割も担っています。4/14の前震発災後は、30分後には病院長を本部長とする災害対策本部を設置しました。当院は病棟・中央診療棟は免震構造、外来診療棟・管理棟は耐震構造です。このときは建物やライフラインにはほとんど被害はなく、緊急招集された職員の協力で、入院患者への対応など通常業務に加えて、トリアージなど多数傷病者の受入業務を分担して行いました。4/14〜15にかけての受入人数は約50名。比較的軽症の外傷が多かったですが、心臓疾患など急病への対応も行いました。
一方、4/16の本震では、耐震構造である外来診療棟などに大きな被害が発生し、水道・ガス停止などライフラインにも影響が出ました。その中でも、来院する傷病者が前日よりも多い約200名を受け入れ、救急車も平時の4倍である20台を受け入れました。また、被害の大きかった「熊本市民病院」から約80名の転院をはじめ、他院からの搬送、転院受け入れも多くありました。災害対策マニュアルを考慮しつつ各部署での臨機応変な活動に努めました。特に救急外来が比較的狭く、診療場所を工夫しながらの対応でした。同時に、県庁や益城町の災害対策本部へのDMAT派遣や、専門診療科による感染症やDVT(深部静脈血栓症)予防などの支援活動も行いました。
その中で研修医も活躍しました。救急科ローテーション中の研修医はシフト制で救急患者の診療にあたり、その他の科のローテーションの研修医は各科で急増した入院患者の診療などに対応しました。
地震直後は一般外来診療休止や手術の延期などを余儀なくされましたが、通常診療に早く戻すための努力も行いました。発災後数ヵ月は救急患者が1.5〜2倍に増加し続け、心疾患や呼吸器疾患、脳神経疾患などの急病の搬送も相次ぎました。救急科ローテーションの研修医と共に増員体制で対応。さらに被害の大きかった阿蘇医療センターに医師、看護師を派遣したり、地域医療支援センターの医師を益城町に派遣して避難者対応に協力するなど、県内唯一の大学病院としての最大限のサポートも長期的に行いました。
このような災害発生時は特に、医師は専門診療科に寄らず総合医としての対応力が求められることを、改めて実感させられました。病院全ての職員に、災害医療の教育・研修が必須であると考えます。研修医にとっては、当院で必修となっている救急研修の重要性を再認識する機会になったようです。医師として、救急・災害医療へより良い対応ができるような総合力を備えるための、大きなきっかけとなったはずです。

済生会熊本病院の「そのとき」 副院長 脳神経外科部長 教育・研究部長 西 徹

エコノミークラス症候群予防の啓発活動にも注力

当院は三次救急医療機関の一つです。前震・本震では水漏れ、亀裂、機器破損などの被害はあったものの、建物やライフラインの影響は比較的少なく、本震後も電気は4/16の午前3:40に、ガスは午後0:10に復旧しました。発災後すぐに立ち上げた災害対策本部の指揮のもと、各トリアージブースや各部門での対応を行いました。前震時(4/14〜15)は189名の患者を受け入れましたが、その中には倒壊家屋による圧死者も含まれました。また、本震時(4/16〜17)は493名の患者を受け入れました。特に4/17朝からは肺塞栓(エコノミークラス症候群)の患者が集中して来院しました。研修医は自主参集し、各トリアージブース、救急外来などでの対応を行いました。また、自主的に交代で救急外来のトリアージ担当も行ってくれました。日頃の災害対策訓練が生かされた瞬間でした。
地震発災直後にDMATも派遣しました。益城町倒壊家屋、東病院支援、阿蘇の非指定避難所巡回の3隊で活動しました。さらに9回の避難所訪問を行い、保健師や予防医療センター医師、感染チームが参加しました。また、エコノミークラス症候群を防ぐためのDVTエコー班派遣も長期的に行いました。研修医も避難所訪問に積極的に参加し、エコノミークラス症候群の周知活動を精力的に行いました。
済生会グループ各院から救護班の人的支援や多くの救援物資を頂き、県内42施設へ物的支援を行うことができました。そのようなサポートの中でも、災害時にはどのような状況下でも、その時点でできる限りの医療を継続し続けなければならないと実感しました。そのためには、日頃から災害に強い病院作りが必要です。建物などのハード面、そして人の教育・訓練を含めた、総合的な対応力のさらなる育成の必要性を感じました。そして研修医にとっては、医師としてリーダーシップの重要性を知ることができたと思います。日頃の訓練などの準備を大事に、この経験を生かして非常時にも強い医師として育ってくれるはずです。

国立病院機構 熊本医療センターの「そのとき」 救命救急科医長 北田 真己

院内外への災害医療に加え、職員のメンタルケアも重視

前震時は大きな被害はなく、本震時も病棟や手術室などに破損や陥没、漏水が起こりましたが、幸い電気・水道は無事でした。災害対策本部(本部長:院長)の元でトリアージと緑・黄・赤の各診療エリアにリーダーを設置し(本震時は黒、入院待機、帰宅待機エリア追加)、受入体制を整えました。前震時は救急車6台、徒歩患者42名、本震時は救急車46台、Dr.ヘリ1台、徒歩患者245名を受け入れ。ほとんどが外傷患者でした。
両日とも、1年次研修医は搬送やバイタルサイン測定などの診療補佐を行い、2年次研修医は上級医と共に各エリアで診療を行いました。特に1年次研修医は入職間もない時期で、ほぼ初めて実診療であったため、負担も大きかったのではないかと思います。4/18からは外来も再開しましたが、発災後しばらくは救急車台数も多く、4月末まで救急増員体制でした。国立病院機構のネットワークを生かした支援や、院内ICTチームによる避難所巡回など、外部での支援も行いました。同時に注力したのが、職員のケアです。育児中スタッフへの学童待機場所開設やメンタルケアを行い、「熊本地震セルフケア講習会」も開催しました。
当院は災害拠点病院であり、災害時には地域の医療機関の支援や院外への医療チーム派遣を行う立場でもあります。その際の院内体制構築や指揮系統、情報伝達などの改善点を見つけられる経験となりました。研修医にとっても肉体的・精神的に負担は大きかったでしょうが、災害医療やチーム医療の重要性などを実体験できる貴重な機会であったと思います。ほとんど診療経験のない1年次研修医も、この短期間での技術向上には目を見張るものがありました。

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熊本市熊本中央病院診療部長 有薗 健二

当院では4/14の前震では被害は特になく、本震では建物の一部損壊、敷地内の地盤低下、及びライフラインに被害が出ました。その中ですぐに対策本部を設置しトリアージを開始しました。研修医も、トリアージ、及び軽症・中等症・重症各エリアでの患者対応に動きました。前震時は約50人の受け入れでしたが、本震時には約200人に増加。さらに、熊本市民病院からの患者受け入れも行いました。スタッフも被災している状態での救急体制。近隣住民の避難者への対応にも追われ、難しい状態が続きました。
発災翌日以降は避難所への支援活動も開始しました。ICT(感染対策チーム)のメンバーとして参加。これには当院の研修医も加わりました。さらに、糖尿病支援チームの一員としても避難所を回りました。
今回の災害対応を経て、マニュアルの整備や訓練などの救急体制の見直しが必要だと実感しました。また、被災したスタッフが被災した人をケアする状況が続いたことから、スタッフへのサポートをどうするかも大きな課題です。研修医にとっては、災害対応の最前線で、限られた資源の中でどう動き、どう判断するかを試される、大変貴重な経験になったと思います。

八代市熊本労災病院副院長 池田 天史

当院のある八代市では震源地から多少離れているため、軽微な建物損傷と棚が倒れるなどの物損程度の被害でした。発災直後に管理棟に災害対策本部、救急センターに災害対策室を設置し、救急対策委員長の医師が指揮を執りました。災害対応マニュアルに沿ってトリアージエリアを準備し患者を受け入れ。また、避難者が来院したため、リハビリテーション棟を開放し、職員一同で誘導や声かけ、情報収集を行いました。患者受入数は前震時5名、本震時30名程度でしたが、4/19に八代地方で震度5強を観測した際は、「八代市立病院」から20名の入院患者の転院を受け入れました。研修医は急患の問診・診察やトリアージを担当しました。
当院は「災害拠点病院」の指定を受けており、DMATを2度派遣。その後も要請に応えてJRAT、災害支援ナース、糖尿病支援チームや管理栄養士、臨床検査技師などを益城町や避難所へ派遣しました。そのような活動を経て、災害時の病院や医師に対するニーズの大きさを改めて実感。発災直後の外傷だけでなく、その後の避難生活におけるエコノミークラス症候群やストレスなど中長期的な対応も必要です。研修医も、医師という仕事の重要性を改めて感じたのではないかと思います。できることは限られていたとしても、地震対応にあたる先輩医師を間近に見て「立派な医師になりたい」「熊本の医療に貢献したい」という気持ちを一層強くする経験になったと思います。平成29年度研修医の採用面接でも、「地震をきっかけに、熊本で医師になりたいと思った。」という声が複数聞かれました。

天草市天草地域医療センター外科・診療部長 高田 登

当院は震源地から離れており、幸いにも建物や医療機器に大きな被害はありませんでした。緊急連絡網により非常招集を行い、院長を本部長とする災害対策本部を設置。院内の点検や入院患者の安全確認などを行いましたが、当日の診療は入院・外来ともに平時と特に変わりはありませんでした。ただ、熊本市内の病院からの入院患者の受入要請や、被災現場から離れた当院での受診希望など、地震に関連して外来患者36名、入院患者7名を受け入れました。地震直後の4/17より5月末まで、JMATチームとして医師・看護師・薬剤師等を連日派遣しました。特に被災地・益城町においては、当院の感染対策チームが中心となって、積極的に予防活動を行いました。研修医も数日、その一員として被災地での医療救援活動に参加しました。日常の診察では体験できない被災現場での災害医療に向い合い、貴重な経験になったと思います。
今回の地震で、建物の耐震性の問題や災害時の対応マニュアルの重要性が感じられました。また、天草にとって災害対策で要となるのが「橋」や「道路」です。被災地の道路事情はかなり深刻で、天草でこのような地震が起きた場合を想定すると、交通遮断などの問題が起こりやすい立地であることを実感しました。