熊本地震 臨床研修医誌上座談会

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臨床研修医誌上座談会

前震直後はどのような状態でしたか?

池田

医局で他の研修医と話していた時の地震。当院は当時緊急参集基準が震度5弱以上だったので、急ぎ1階ロビーに集合しました。災害訓練通りに、すぐに設置された災害本部の指示に従い、研修医1名、看護師1名のペアを作って、緑とトリアージされた患者さんの対応をしました。何度も強い余震があって恐怖もありましたが、時間帯を決めて夜中も対応しました。

田島

私も前震のときは病棟で勤務中でした。揺れている間、倒れてきそうな器材を支えていたのを覚えています。その後は看護師とともに担当病棟にいる患者の安全確認を行い、対策本部に合流。来院患者のトリアージと軽症患者の処置などを行いました。今思うと、時間を忘れ無我夢中だったと思います。

谷村

私は地震発生時は自宅にいました。天草でも揺れを感じ、すぐに病院に向かいましたが、震源地から遠かったため、特に大きな混乱はありませんでした。

日中も患者さんの数が増えハードでしたが、対応する職員の数も増えていたので、滞りなく進んだように思います。23時まで切れ目なく患者さんの対応をし「研修医は一旦帰宅を」との指示が出たので帰途につきました。まさかその夜に本震が起こるとは…。

本震直後はどのように動きましたか?

川口

家にいたため、すぐに病院に駆けつけ、トリアージの緑ブースに振り分けられました。地震直後は傷の縫合や挫創・骨折の人の処置が多かったです。時間が経つごとに病院の機能が徐々に戻り、薬の処方ができるようになったり、画像が撮れるようになったりと刻々と状況が変化。意思伝達の難しさを感じつつも皆で工夫して行動していきました。

下田

私は研修1年目で、実はこの日が人生で初めての当直でした。ちょうど「熊本市民病院」での研修中で、病院全体が被災し、停電で水もエレベーターも止まったので、歩けない入院患者さんや妊婦さん、点滴中の方などのマットを背負って階段を運ぶ作業を行いました。8階までの上り下りを数時間は繰り返したように思います。NICUも被災し、看護師が手動で赤ちゃんに呼吸器をあてながら運ぶ作業は、特に大変でした。

鮒田

震源地から距離があった「人吉医療センター」でもすぐに災害本部が立ち上がり、救急外来体制の準備が行われ、市や周囲の病院との連携もすぐに組まれました。私もこのとき、研修医になってまだ2週間でしたが、普段から災害訓練を行っている病院の動きは素早く、その中で救急外来を守っていました。ただ、当院では当日はそこまで患者さんは増えませんでした。

熊本地震発生時の病院での診療対応の中で、どのような役割を担いましたか?

田島

主に玄関先でのトリアージを24時間体制で行いました。座学でトリアージの仕方について学ぶ機会はありましたが、実際にトリアージタグを使用するなど初めての経験でしたので、印象に残っています。簡易的な検査(インフルエンザなど)も交代制で対応したほか、問診や初期診療、病院内の誘導も行いました。

本来病棟ではない場所へのベッド移動を手伝いました。また、JMATとして被災地へ派遣され、避難所になった小学校の保健室などで診療や処置などの支援を手伝いました。

木下

当院では研修医は一旦、そのときに所属していた部署を離れて救急外来の所属になり、私達2年目の研修医が1年目の研修医に教えながら、非常対応しました。ドクターヘリや救急車もひっきりなしに来る中、3日間ほとんど休む暇なく対応に当たっていましたね。野戦病院のようでした。

熊本地震発生時の病院での診療対応の中で、特に印象深かった出来事は?

池田

家屋に長時間挟まれ、明け方救出された多発骨折の患者さん達も多く、地震発生直後よりも少し明るくなってからの搬送が増えたことが印象的でした。また情報が錯綜していて、患者さんの状態が前情報よりも悪かったということも起こり、通常とは全然違う対応の難しさに直面しました。

建物が崩壊する危機のある病院・医院から精神科患者さんを受け入れることになった際のスクリーニングで、一時的に自分が受け持つ患者さんが10人を超え、明らかにキャパシティを超えました。その人数の多さに、病院が崩壊するということの恐ろしさ、大変さを実感しました。

北村

当院は幸いにも被災を免れた為、他の医師や看護師がDMATとして対外支援に派遣されました。自分が直接参加したわけではありませんのでしたが、派遣される際の緊張した面持ちや戻ってこられた医師の疲れた顔は非常に印象に残っています。

鶴田

私が勤める八代地域でも被害は少なかったものの、近隣病院が倒壊の危険があり、入院患者さんの受入を行いました。大人数の転院受入の日に、夜遅くまで病院全体のスタッフが協力して対応していた姿が印象的でした。本当に病院の倒壊は大変なことです。

地震発生後から時間が経つにつれ、患者さんへの対応はどのように変化しましたか?

池田

やはり時間が経つにつれ、運ばれてくる患者さんの疾患も少し特徴があり、数日後に車中泊からのDVT(深部静脈血栓症)、肺塞栓症を発症してこられる方が多くなりました。近隣の小中学校の体育館や車中泊されている方を訪問し、DVT(深部静脈血栓症)予防の啓発活動も行いました。

田島

発生直後は火傷や転倒といった患者さんが多かったのですが、時間が経つにつれ、慢性的な疾患の増悪といった患者さんも増えました。より長期的なことまで含めた処置や入院を考慮することが増えましたね。

川口

当院では翌週から通常外来が始まりました。それからしばらく救急外来ではDMATや全国の日赤の先生方と働くことが多く、自分にとっては良い刺激、経験でした。

鮒田

人吉では、熊本市から避難して来られた患者さんが増えました。眠れない、揺れが怖いなどのトラウマを抱いてしまった方へのメンタルケアを多く行ったのは特徴的だと思います。

鶴田

八代でも、避難所から来られた方には特に傾聴を心がけ、DVT(深部静脈血栓症)は常に念頭に置いて診療に当たっていました。

下田

「熊本市民病院」は入院が不可能な状態になったので、避難所巡回チームを結成。上級医・研修医・薬剤師・看護師・事務職員の5〜6人のチームで、東区エリアを中心に回りました。避難所では、普段飲んでいる高血圧の薬がないなど既往症に関する相談や薬の処方、健康相談が多かったです。

谷村

天草でも医師会のJMATより訪問診療の要請があり、私も自己推薦で益城町で行われた訪問診療に参加しました。

今回の地震における一連の経験の中で、自分の中で感じた課題や教訓などは?

板井

限られた医療資源や処置に使用する水不足の中、医局員同士が協力し合って診療に従事できたことは、今後の診療スキルにとてもプラスになったと思います。

下田

私は何よりも自分の知識不足を痛感しました。避難所の患者さんへの対応は国家試験とは別の知識が必要で、一般診療での薬の処方、健康相談のスキルを伸ばしたいと思いました。

川口

災害診療の立ち上げ、トリアージでの診療、救護班の活動に当たれたこと、全国の先生方と勤務に当たれたことは非常に良い経験でした。災害はどこにいても起こり得ます。それを経験し、日常から準備をしておくことの大切さを身に染みて感じることができました。

田島

今回のような緊急時には、何が重要で優先順位が高いのかをより明確にして処理する必要があることを痛感させられました。また、一人で行えることには限界があり、様々な人々のサポートがあってこそ医療が成り立っていることを再確認する機会となりました。

鶴田

まだまだ研修医として病院にも慣れていない中での経験だったため、できることは限られていました。今回のことで早く病院の即戦力になりたいと感じるようになりました。今後、手技なども機会があるときは積極的に取り組みたいです。

谷村

そうですね。そして私にとっては、熊本に貢献できる医師になりたい、と県内で働くことを決意するきっかけになりました。

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